11年前の今日は大地震があった日でした。
今日と同じように金曜日でしたね。
仕事場から車で家に帰る途中から信号がついていなくて、
帰宅したら停電中。
母は腰を抜かして動かず、
娘は母を誘導するのに悪戦苦闘して白い顔。
余震があるたびに、怖がる母。
ここから母の認知度に異変が出てくる。
電話が混線して県外の息子とはなかなかつながらず。
寒い夜、石油ストーブとホッカイロで暖をとる。
計画停電がはじまる。
ガソリンスタンドは連日長蛇の列。
5時間並んだけどガソリンが入れられなかったという同僚。
お店では乾電池と水が品薄状態になる。
友人に引っ張られてランチに行くが、
周りは暗い顔でひそひそ話。
わが友人たちも涙ぐんで話をする。
心の内を話すことで、少し落ち着く。
ブロ友さんのコメントに救われた。
ありがたかった。
あの年、中等度の認知症と診断された母は、
要介護1から1年で要介護5まで進み、
7年後老衰で亡くなる。
穏やかな死だった。
1. 11年も
あの時は、こちらはあまり被害が無く、それなりに色々と影響はあったものの、
それほど不便なく過ごせたような気がします。
あの時の事は正直あまりよく覚えてませんが、整形外科でリハビリしてた時に
地震が起こった事だけはハッキリ覚えています。
テレビでのリアルタイムの津波とか・・・ 衝撃でしたな…
あとは、むしろブログに書いていたことで「そういえばそうだったっけ」
という感じで思い出しますね。
月青さんとこも色々あったようで・・・
相変わらずポツポツと地震がありますが、大きな地震が起こって欲しくはないものの、
大きな地震の予測がある以上は備えるしかないですな。
どこまで備えるべきなのやら・・・
Re:11年も
そうですね、11年経ったんですよね。
あっという間だったような気がします。
>あの時の事は正直あまりよく覚えてませんが、整形外科でリハビリしてた時に
>地震が起こった事だけはハッキリ覚えています。
ああ!それはぎょっとしますね。(><)
私は職場でして、わらわらと庭に避難していましたね。
一斉に避難ではなくて、
みんなで顔を見合わせて一応避難しましょうかくらいの感じでした。
避難してから余震がまた大きくて、
そこではっきりこれは大変だとなりましたね。
津波の映像はショックでしたね。
写真集を見直していますが、生々しさは変わらないですね。
地震は、相変わらずぽつぽつありますよねえ。
備えは必要ですが、どこまでとなるといろいろ難しいです。